こんにちは。七転びです。
秋が深まってきて○○の秋にぴったりな感じになってきましたね。皆さんは何の秋?僕は今、読書の秋を迎え、いろんな本を読み漁っているところ。速読術身に付けたい。もう一度、チャレンジしようか・・・
話が逸れてしまった。今日のお題は司馬遼太郎著『最後の将軍』。徳川慶喜のことが描かれている歴史小説。
司馬遼太郎さんの名前を知らない方は少ないはず。でも、意外と作品を読んだ事がある人は少ない。齢、41歳の僕の周りだけ?文体がちょっと堅苦しいからかもしれない。僕の父が入院しているときに司馬遼太郎の小説を買って持って行ったら、堅苦しくて読まなかった模様(笑)
いきなり、結論!というか読んだ感想をまとめると。。。
「徳川慶喜のイメージが変わる。こんなに優秀な人だったのか!そして情報というものに踊らされてる世の中は今も昔も変わらないということを学べる本」
ということです。
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変わる慶喜のイメージ
これまでの僕の勝手な慶喜のイメージ像
まず、僕の勝手な徳川慶喜のイメージをつらつら書こう。
1.外圧に負けて大政奉還させられ降板した最後の将軍
2.正直、出来が悪そう
3.江戸時代が終わったあとはどうしてたのか分からない人
4.徳川家だけに開国反対の立場の人
要するに何となく駄目な人という勝手なイメージ。もしかしたら教科書には素晴らしいことが書いてあったのかもしれない。でも、外国の圧力に負けて、最後は江戸幕府を諦めて大政奉還させられたという気がしてた。
しかしこの『最後の将軍』を読むとイメージが書き換えられる。
書き換えられた新たな慶喜のイメージ像
じゃあ、その慶喜がどう僕の頭の中で変わったか。
1.徳川家15代続いた将軍の中でも指折りの優秀さをもった将軍
2.大政奉還は彼の描いた筋書きにもあった(したかった?)
3.大正時代まで生きた将軍の歴代で一番長生きした人
4.開国した方が良い(するのが世の流れ)と時流を見極めていた人
こうなった(笑)。もう、かなり持っていたイメージと逆。しかも、もともと将軍になれる家系ではなかったものの、父親や周りの人達からその優秀さ故に15代将軍になるよう担ぎ上げられた人物だと知り驚きは隠せない。
司馬遼太郎氏は小説の中で下記の様に書いている。
慶喜は、おそるべき将軍とされた。
いかなる大名や公卿が慶喜のもとにやってきても、議論で慶喜に勝ちうる者はいなかった。慶喜が諸侯の会議をひらいても、在来のような飾り物の将軍ではなく、この征夷大将軍みずからが座長となり、議事提案者になり、その説明者になり、さらに反対派を粉砕する最強の論客になった。
しかし、いくら優秀であって時代の流れには逆らえなかった。そして情報戦でも負けたようなイメージをこの本から僕は読み取る。
いつの時代も情報だけが先走りして人は惑う
慶喜は将軍家の跡継ぎ問題で一方では期待され、一方では怖れられた。そして怖れていた立場の人達は慶喜が将軍になることで不利益を被ると考えている人。そういう人から発せられる慶喜の悪いイメージが周りの人に伝播し、慶喜とは別に勝手にイメージだけが先走りする。
今の世の中も同じ。マスコミから流れてくる情報がここ最近、間違っているのではないかということが明らかになってきた。合っているものも沢山あるだろう。ただ、制作者も人、発信者も人。そうすると自分たちの思想、都合の良い情報が流れてきていると言うことはきっと今も変わらない。
その情報をどう受け取るか。それによって人は惑う。
結局、1人1人の価値観、1人1人の持っている情報を元に判断するしかない。どれも正しいし、どれも間違っている。どの局面、どのフィルターをかけて自分にいれ、そして発信するか、そういうことも考えさせられる内容だった。
やっぱり、司馬遼太郎氏の本は好き。司馬遼太郎氏は人たらしだったと聞いたことがある。人の事が好きだからこそ、ここまで登場人物をいきいきと描くことが出来るのだろう。
徳川家最後の将軍、その人は僕のイメージと反して凄い人でした。
司馬 遼太郎 文藝春秋 1997-07-10
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