昨年末のこと。一通のハガキが届いた。送り主は見知らぬ名前で最初は誰だかよく分からなかった。ハガキに記載の内容を見みると喪中ハガキだった。見知らぬ送り主は大学の恩師(北矢行男先生)のご家族だった。つまり他界したのは大学の時にお世話になった北矢先生だったのだ。
恩師には大学卒業後、毎年かかさず年賀状だけは送り続け、生きていることだけ報告している感じであった。本来ならば直接、恩師の事務所へお邪魔して状況を報告したり、悩みの相談をしたりとすればよかったのだが、自分の現状はまだ報告できる程ではないと思い足を運ばずにいた。恩師からの年賀状には手書きで幾度か「顔を出しに来なさい」いただいていたにも関わらず、その一言を見ながらも自分に自信が持てず、まだ、もっと報告出来る自分になったら・・・と逃げていた。そして時だけが過ぎ今に至った。
こんな形で会うことが叶わなくなると、やはり事務所に伺って駄目な部分も含めて報告・相談すべきだったといまは思う。報告は出来ないけれど尊敬する恩師に近づきたいという思いから、今年は恩師の著書を手にし読む機会が増えた。
本日の紹介は、恩師の著書『ハードボイルドの経済学 プロの殺し方教えます』だ。
『ハードボイルドの経済学 プロの殺し方教えます』
そもそもハードボイルドって?
『ハードボイルドの経済学』について書く前に、いったいハードボイルドってなんだ?ということについて書いておこう。Googleで検索をしてみるといろいろな内容が出てくるが私なりにまとめると「アメリカ文学の中で登場した写実主義の手法」「主人公が感情を出さない、感傷を排して簡潔な文章で書く小説」ということ。特に探偵小説の1ジャンルと分けることもできるのがハードボイルドだ。
では本書での「ハードボイルド」の定義はどうだろうか?
自分が自分であるコア(核)の部分を大事にする生き方のことだ。少し、解剖学的にハードボイルドを分析すれば、それは次の3つの要素から成り立っているといえるだろう。一つは、人間が好きということであり、自分を信頼する人々は決して裏切らないということである。二つ目は、志や信念をもっており、決して妥協しないということだ。この二つの要素を両立させるためには、三つ目に物事とりわけ人間に対する深い洞察力を必要とする。自分の規範に忠実に生きていくためには、時にはタフでなければならないが、その本質は人に対する優しさに満ち溢れている。その意味では、「知的タフネス+知的感受性=ハードボイルド」という公式が書けるだろう。
つまり、北矢先生の定義するハードボイルドは、人間が好きで自分を信頼してくれる人を裏切らない、信念を持って妥協せず、深い洞察力を持った生き方のことなのだ(この記事では以下ハードボイルドと記した場合、北矢先生の定義するこの生き方のことを指して書くこととする)。
フリーランスがプロとして生きるスタイルの1つがハードボイルド
本書は社会人としての生き方(ハードボイルド)論が記されている。本書の素晴らしいところは1990年に刊行されたにも関わらず、現代にも通ずることが書かれていること。内容を読み進めていくとわかることだが、プロフェッショナルサラリーマンの選択肢の1つとしてフリーランスとしての生き方があると提示し、フリーランスに必要な心構えなどが論じられている。いわばハードボイルドフリーランス論とも取れる内容に仕上がっている。しかも、フリーランスはハードボイルドに生きることが今後ますます必要になると説き、そのための心得をハードボイルド小説の中に記されている名科白を用いて論じられているのはとてもユニークなところだ。
30年以上前と言えば多くの人が正規雇用を求めていた時代。しかも、インターネットが普及前であったことを考えると、なおさらフリーランスということ自体が知られていないときだったはずだ。その時にプロフェッショナルサラリーマン、フリーランスについて論じている本書の内容は、時代の先読みをしつつハードボイルドというスタイルで味つけして北矢先生ならではだと思う。
一方、本書について何故?と思うところもある。まず本書には「はじめに」にあたる序文がない。本書の内容は目次を見れば何となく察することができる。そして第1章が序文にあたるのだとも思う。それでも、折角ユニークな内容なのだから「はじめに」のような序文を用意して、第1章に書かれている内容(この本を書く事になった思いの一部)を論じれば、本書がどのような本かわかりやすかったのではないか。ただし、この部分は北矢先生が敢えて序文を作らなかった可能性もある。つまりプロには序文(導入部)などいらないということかもしれない(笑)
また、もう1つの何故について。本書は誰に向けた本なのか分かりにくいように思う。タイトルにあるハードボイルドという言葉の印象が強すぎることで、良くも悪くもその言葉に興味を持っている人が手に取るが、本人はプロフェッショナルサラリーマンやフリーランスを目指しているとは限らない。発売当初どのような宣伝をしたのか分からないが、ハードボイルド好きのフリーランスや独立を考えている人でプロサラリーマンに届いても、直感的にどんな本なのか掴めた人はどのぐらいいただろうか?
そんな疑問を持ちながら、第1章を読み進めていくと第1章の3にて以下のようなことが書かれている。
そのキーワードが本書の「ハードボイルドの経済学(プロフェッショナル・サラリーマンのすすめ)」なのである。
つまり本書はサラリーマンに対して、プロ意識の重要性、そして選択肢としてのフリーランスを論じているということを著者の先生も述べている。しかし、そのズバリの回答が27ページに書かれているので、理解の遅い私はこの本の主旨がプロフェッショナルサラリーマン論であるということを27ページで掴めたような気がした。とにかく読解力など個人的な能力の問題もあるだろうが、本書は手に取ってすぐには論旨が掴めず、どのようなテーマであるかをハッキリ掴むのに時間がかかる構造なのはもったいないように思う。
本書の内容-私なりの解釈-
さてこの本について誤解を怖れずまとめると「プロフェッショナルサラリーマンであった著者が、ハードボイルドなフリーランスになることのススメを書こうと論じるにあたり、有名な小説の主人公の科白を借りて論ずることで面白くユニークな内容に仕上げるだけでなく、若いのに組織にとらわれない生意気さや、サラリーマンのくせにフリーランスを論じるなと日本的な反対意見・逆風を避けるように書き上げ、読者にこれからのプロ意識とはハードボイルドであると届けた本」ということだろうか(笑)
早すぎた刊行、令和のいまだからこそ見直したい内容
時代が変わっても生き方の核となる部分は変わず通ずるものがある。『ハードボイルドの経済学 プロの殺し方教えます』は令和の今だからこそプロフェッショナルサラリーマン、フリーランスが抑えておくべき心得がある。令和の今だから見直したい内容とも言える。
私が北矢先生から学んだことは沢山ある。その中でも今もずっと好きなのが「ロバート・B・パーカー」のスペンサーシリーズだ。大学に入学したばかりの時にお勧めの本として紹介していただいたのが『初秋』と『約束の地』であった。 それ以降、「ロバート・B・パーカー」のスペンサーシリーズは全て読み、今でも年に何冊かは読み返している愛読書となった。そしてその中に登場するスペンサーやホークの名科白は著者が没後も私の中では心に刻まれ残っている。
話を戻して本書『ハードボイルドの経済学』は1990年刊行なのでその当時までにスペンサーシリーズは15冊前後の日本語訳が出版されていたはず。その後スペンサーシリーズが未翻訳の「Chasing the Bear」も含め40冊になったこと、さらにインターネットが普及しフリーランスというスタイルや言葉も知られるようになったことも含め、先生が存命ならば、更なる内容を盛り込んで現状を踏まえての『続・ハードボイルドの経済学』を作ることが出来たのではないかと思うと残念に思う。 とはいえ、個人的には本書を読み返しながらハードボイルドの登場人物達が持った芯のある生き方・考え方を学び、現代でも通じる内容を30年以上前に書いた北矢先生をあらためてリスペクトし、偲び、新たな発見を得ている。 情報が錯綜する時代の中でハードボイルドであろうと思うのであった。